ミサイルか否か(永田) | 2009/04/12 22:06 |
先週以来、北朝鮮の発射実験が話題になっています。うちにも毎日新聞から電話取材を頂きました。最初は発射実験の映像を北朝鮮が公開したのを受けて。映像を見た見解を聞かせて欲しいというもので、4/8朝刊一面に掲載されています。江畑謙介、小川和久両氏と並んで登場するのであれば植松さんの方が適任だったのではなかろうかと思います。
同日の夜にも電話取材が有りまして、その時の内容は、「ミサイル実験と衛星打ち上げのどちらであったのかを、軌道を解析する等の方法で判別することは可能なんでしょうか」というものでした。両者を分けるのは加速終了時の獲得速度なのですが、加速途中を見て、どこまで加速するつもりなのかを判断するのは無理な話です。結論としては、途中で加速に失敗した衛星打ち上げとミサイル実験とを軌道から見分けることは不可能です。というコメントが4/9朝刊に掲載されています。2,3面と続く特集記事で、比較的大きな扱いでした。
実は、このコメントには続きが有ります。衛星打上げかミサイル実験かを軌道から見分けることは不可能だけれども、そもそも見分ける必要が有るのですか?というのが論旨でした。掲載頂いたのはその前半の、だけれども、以前の部分です。我が国の北朝鮮非難は、2006年の国連安保理決議1718号を根拠にしています。そこにはこう書かれています。
「北朝鮮が、弾道ミサイル計画に関連するすべての活動を停止し、かつ、この文脈において、ミサイル発射モラトリアムに係る既存の約束を再度確認することを決定する。」
ミサイルとは、ロケットに爆発物を搭載したもののことです。ロケット開発が「弾道ミサイル計画に関連する活動」に含まれることに議論の余地は有りません。平和的な宇宙開発であれば許されるという解釈には無理が有ります。安保理決議1718号は、北朝鮮の平和的な衛星打上げも含んで禁止しているのです。核関連技術の拡散を規制する際に、平和的な原子力発電に必要なウラン濃縮技術も規制の例外にならないのと同じことです。結論としては、麻生政権が言うところの「衛星であろうと国連決議違反」という話に尽きると思います。
技術そのものには罪は有りません。安保理決議が北朝鮮の技術開発を禁止したのは、技術に罪が有るからではなく、北朝鮮の活動に問題が有るためです。ロケット開発はミサイル技術に繋がるという話は、我が国でも糸川先生の時代から有りました。その批判をかわすために、誘導装置を搭載しないで衛星を打ち上げるというウルトラCが行われたりしました。1970年に打上げられた我が国初の人工衛星「おおすみ」は、重力ターンとロケットの点火タイミングだけで衛星を地球周回軌道に投入するという離れ業で打上げられています。無誘導で打上げられた衛星としては世界唯一ではないでしょうか。
我が国の宇宙開発技術というのは、物凄くアンバランスです。歪と言ってもいいです。軌道上ランデヴーに成功した国は日米ソの三カ国だけです。一方で、軌道上から地球上の狙った場所に衛星を落として回収する技術は相変らずお粗末で、失敗してばかりいます。地上の狙った場所に落す技術は軍事関連技術として開発が避けられてきたためです。1969年に衆議院で採択された「宇宙の平和利用決議」により、宇宙技術開発は多くの縛りを受けてきました。「僕はキチ○イだから刃物を持たない方がいい」と宣言する議会を持った国の技術者は不幸です。アンバランスな技術の歪みという現状は、無理解かつ無関心な政治が課した縛りの中で、宇宙開発コミュニティの研究者が、動く片手を頼りに鬼神の努力を続けてきた証拠でもあります。我が国が宇宙先進国の仲間入りをしている現況は奇跡です。これを当り前だと思ってはいけません。そろそろ、政治が宇宙開発コミュニティに報いてもいい頃です。 (再掲終わり) |