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CSWブログ

北海道に生まれた民間宇宙開発企業カムイスペースワークス。 略して「CSW」 ブログはこちらに引越しました。
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名無しのエンジニア(永田)
 我が国のロケット開発は1950年代の糸川先生の研究をルーツとしますが、それ以前に国産ロケット技術が無かったわけではありません。戦後、米国から液体ロケットの技術が導入されましたが、この時に日本側で主力となったのは三菱重工長崎造船所の技術者だったらしいという話を以前に書いたことがあります。戦争末期にロケット戦闘機「秋水」の開発に携わった当時の技術者がまだ多く残っていたのだそうです。ロケット弾も実戦で使われていました。当時はロケットのことを噴進と呼んでおり、ロケット弾は噴進弾でした。これに倣うと、CAMUI型ハイブリッドロケットは「神威式固液噴進装置」ということになろうかと思います。

 噴進弾は硫黄島攻防戦でも使われました。四式噴進砲という、口径20センチのものです。「硫黄島からの手紙」でも登場したそうですが、この映画を僕は見ていません。硫黄島守備隊を率いた栗林忠道中将を描いた「散るぞ悲しき」を読んだことならありますが、ロケット砲が登場したかどうかはよく覚えていません。その代わり、武器弾薬として補給された荷物の中に青竹が入っていた、というエピソードが有ったのをよく覚えています。「いざとなったら竹で筏を作って脱出しろとでもいうのだろうか。何とも愚かな話である」というような作者の記述を読みながら、そんなわけないよなあ、と思いました。

 史実に接するとき、僕たちはその後の歴史等に関する知識を背景に当時の人々の行動を目にしますので、どうしても上から目線になってしまいます。歴史の真実に近付くためには、昔の人々の愚かさも合理性も、今の僕たちと大差無い、という常識的な前提の元で、想像力と感応力を一生懸命に働かせる、という努力が必要です。例えば、青竹といえば、本土決戦に備えた竹槍訓練です。戦車で攻めてくる相手に何の意味が有るのだ、と誰でも思いますが、僕たちがそう思うということは、当時の日本人もそう思ったはずなのです。なのに全国で行われました。僕は、竹槍訓練は、本土が戦場となった時、そこにいる婦女子は自分で貞操を守れ、という意味で行われたのではなかったかと想像しています。訓練が想定していた敵は戦車ではなく、自分を強姦しにくる生身の男だったのではないでしょうか。

 太平洋戦争後期に大本営の情報参謀として活躍した堀栄三氏による「大本営参謀の情報戦記」という本が有ります。堀栄三氏は、当時米国が計画していた本土上陸作戦(オリンピック作戦)を、その時期(1945年11月)から上陸場所(大隈半島志布志湾)まで正確に予測し、そのあまりの正確さから戦後にスパイ容疑でGHQに連行されたほどの業績を挙げた方です。日本軍の対米戦術を一変させた人でもありました。サイパンまでの日本軍守備隊は上陸部隊を水際で阻止する戦術でしたが、圧倒的な艦砲射撃により海岸線の陣地は上陸前に破壊され、バンザイ突撃で玉砕するのが通例でした。サイパン戦では10 kmの海岸線に2万トンの砲弾が撃ち込まれたそうです。1 m辺り2トンです。2日で上陸を完了しました。堀栄三氏は、海岸線単位長さ辺りの鉄量という数字を導入して米軍の戦力を可視化し、大本営に戦術の転換を迫りました。「敵軍戦法早わかり」という冊子を纏め、戦地に赴く前の部隊に事前説明に回りました。ペリリュー島守備隊を率いた中川連隊長も、堀氏から事前レクチャーを受けた一人です。昭和19年3月のことです。その半年後、昭和19年9月に始まったペリリュー島上陸作戦では、五千人の一個連隊で五万人の二個師団を相手にし、2ヵ月間持ち堪える敢闘で米軍を驚嘆させました。この戦術は、その後の硫黄島と沖縄にも引き継がれました。

 最近、同じく硫黄島戦を扱った著作を読んで、ひょっとしたら青竹の用途はこれだろうか、と思うことが有りました。というわけで、今までの話は全て前振りです。これからが本当に書きたかったことです。なかなか本題に入れず申し訳ありません。続きます。


| エンジニアリング | 21:54 | comments(4) | trackbacks(0) | pookmark |
「神威式固液噴進装置」、大変気に入りました(^^)
次回エントリ楽しみにしております。
| (ぐ) | 2010/05/17 8:00 PM |
永田先生へ

>ロケット特攻機「秋水」

 釣られているような気もしますが念のためにご訂正。
 「秋水」はカタログ上では局地戦闘機にて特攻機ではありません。
 お釈迦様に何とかになりますがドイツからイ号潜水艦で技術資料が運び込まれたMe163Bのコピーが「秋水」で開発目的はB-29の邀撃用ですね。
(当時の日本では排気タービン付エンジンが実用化出来なかった為にロケットエンジンは期待されていました)
 永田先生流に書きますと二液式推進戦闘機でしょうか。
 ただ燃料の「過酸化水素」と「ヒドラジン混合物」の組み合わせは有人機として無理があったのは確かで,そういう意味で特攻機的と言えなくはありません。
 戦記ファンとしてはロケット特攻機と言えば「桜花」を差すものかと思われます。

>四式噴進砲

 昭和40年代の「丸」には日本側の戦記を読むと量産型は木製発射台であったとか,米軍側の戦記では爆発の割には弾片の威力があまりなくそれほどの損害はなかったとか掲載されておりました。
(これは当時の日本の製鉄技術の問題で航空爆弾でも同様の問題がありました>日本海軍の爆弾/兵頭二十八著参考)
 ちなみに噴進砲は「十二糎二八連装噴進砲」として戦争末期に空母と航空戦艦の対空火器としても使用されておりました。
| 炬燵猫 | 2010/05/17 9:08 PM |
栄光なき天才たちという漫画がありました
・・・取り上げられた人たちはみな有名人でした

英雄は名を残す
技術屋は仕事を残す

そういう言葉もあります

この辺から次の話が出てくるのかなあと思っています。

噴進弾はなにもない、何にも資源がないという極限状態の中で生まれた兵器なのかなと思います。
迫撃砲程度の砲身さえいらないというのはある意味すごいですよね。

>「神威式固液噴進装置」
いや、三燃料噴進装置でしょう
ヘリウムも大切なアイテムです。
・・・・ということは戦時中ではまずありえないアイテムであるということでもありますよね・・・・
| 高橋徹哉 | 2010/05/19 11:03 PM |
昨日まで出張が続いてレスが遅れました。


炬燵猫さん:

すみません。釣りじゃないです。勘違いで書いてしまいました。修正します。ヒドラジンを使うので特攻機的、という意味でもありません。スペースシャトルは今でも軌道変換用エンジンにヒドラジンと四酸化二窒素の組合せを使っていると思います。着陸後はヒドラジンの漏れが無いことを確認し終わるまで人払いだそうです。ご指摘有難うございました。


高橋さん:

ご想像の通り、その辺の話です。週末には書きたいと思いますが、月曜締切の原稿がいつ仕上がるかが鍵です。
| 永田 | 2010/05/21 8:13 AM |









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