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CSWブログ

北海道に生まれた民間宇宙開発企業カムイスペースワークス。 略して「CSW」 ブログはこちらに引越しました。
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名無しのエンジニア(その2)(永田)
 前回の記事の続きです。10日以上間が空いてしまいました。申し訳ありません。

 昨年の8月、産経新聞社から「英雄なき島」という本が出版されました。硫黄島戦を生き残った元海軍中尉である大曲覚氏の貴重な証言です。前回触れた「散るぞ悲しき」と併せて読むと面白いです。将校の視線からの真実と、一般将兵の視線からの真実の違い。部隊全体、ひいては大日本帝国の戦いの中で個々の作戦を位置付ける将校の判断と、現場で目前の課題に対処しなければいけない一般将兵の判断。どちらも一面の真実を描いています。

 硫黄島での戦いでも、ペリリュー島守備戦に続いて、「敵軍戦法早わかり」に則った戦術が選択されました。海岸線は1 m辺り2トンの鉄量で爆撃されますので、陣地を作っても無駄です。陣地は内陸部の地下に造られました。海岸線に陣地を作れないので、上陸阻止は諦めることになります。敵を無抵抗で上陸させた後が、戦闘の本番です。上陸側は、味方が上陸した後は圧倒的な火砲にまかせた猛爆ができなくなります。これを突いた戦術でした。

 これまで語られたことが無かった新事実が目を惹きます。硫黄島上陸作戦では、日本軍による抵抗が全く無いまま上陸部隊の揚陸が進行し、3 kmしか無い海岸線に装甲車約500両、上陸用舟艇250隻が押し寄せました。狭い砂浜が兵士で溢れます。そのとき、日本軍の新兵器が米軍に大損害を与えたのだそうです。250 kg爆弾、もしくは60 kg爆弾にロケットを取り付けた即席のロケット弾だったそうです。硫黄島には帝国海軍の航空部隊が配備されており、航空用爆弾が100個くらい備蓄されていました。ところがまともに飛ぶ戦闘機が数機しか残されておらず、使い道が無かったのだそうです。これに筒を取り付け、火薬を詰めてロケットにし、敵上陸部隊に向けて発射したのだそうです。

 大曲氏は、米軍死傷者の半分くらいは、上陸戦の初日に、この即席ロケット弾によって発生したのではないかと証言しています。L字型に曲げた板を斜めに立て、上にロケット弾を乗せて飛ばすという極めて簡素なものでした。どのような材質のものだったか、よく覚えていないそうです。工兵のグループがダミー爆弾を搭載したものを飛ばす実験を繰り返しているのに立ち会ったそうですが、こんなもの役に立つわけがないと思い、真面目に観察しなかったのだそうです。筒の材料も色も覚えてないとのことでした。その実験をしていた工兵がどこの部隊の誰かも覚えていません。

 このロケットの筒、竹で作ったのではなかったかと想像しています。竹だけでは燃焼時の圧力に耐えられませんが、荒縄でぐるぐる巻きにすれば大丈夫です。気密は竹が、引っ張り応力は縄が分担するわけです。CFRP複合材と同じ原理です。秩父で毎年行われている龍勢祭りで打ち上げられるロケットも、同じような方式で作られています。

 現地に備蓄されている爆弾を弾頭とし、竹で即席のロケットを作り、敵上陸部隊に打ち込んで大損害を与えた。これが事実なら、その計画を立案し、ロジスティクス(竹と火薬)を指示した人がいた筈です。同じく硫黄島から生還された金井啓氏は、「米軍は補給機をじゃんじゃん飛ばしてきてたんですよ。こっちにも一応強行着陸での補給があったんですけどね、それに積んでたの青竹と花火ですよ」「ええ、向こうはタマ撃ってきてんのにこっちは花火ですよ。もうこりゃあ終わったなと」と証言しているそうです。花火の火薬を推進剤に転用したと考えれば、辻褄が合います。誰が指示したのでしょうか。250 kgの弾頭を運ぶのに必要な竹の内径を算出するのに必要な知識と、硫黄島に爆弾が備蓄されているという情報を共に持っていた誰かでしょうか。複数の文殊の知恵で出てきた戦術だったのでしょうか。今のところ、現場の一部を目にした一般将兵の証言しか有りません。真実が歴史の闇に埋もれようとしています。

 アポロ11号打上げの際にプレスに配布された資料が、NASAのウェブサイトにアップされています(こちら)。サターンロケットの詳細も記述されています。初段の推進剤はケロシンと液体酸素です。初段に液体水素を使っても何のメリットも無いという話を以前に書いたことが有りますが、亡命ドイツ人が作ったサターンロケットは質実剛健です。よくできてます。ケロシン−液体酸素から液体水素−液体酸素に切り替えるタイミングは、最適値に設計されています。けれども、この最適設計に至った論文は存在しません。当時は機密事項だったからです。この最適設計をしたのは誰なのでしょうか。誰かご存知でしたら教えてください。亡命ドイツ人の誰かだと思うのですが。サターンロケットの設計を詳細に検討すると、月に人を送るという明確で単純なミッションを一点に見据えて最適設計を突き詰めたエンジニアの気迫に触れ、鳥肌が立つことが有ります。スペースシャトルはこの種の感動を与えてくれません。残念なことですが、H2ロケットも。


| エンジニアリング | 21:23 | comments(12) | trackbacks(0) | pookmark |
永田先生へ

>日本軍による抵抗が全く無いまま上陸部隊の揚陸が進行し

 「サイパンの戦い(1944年6月15日から7月9日)」が戦訓となったそうです。
 従って水際防衛作戦が無効に近いことは当時の陸軍の中にも浸透していったことと思われます。
(少くともペリリュー島や硫黄島の守備隊司令部はそれを認識していました)
 これは狭い島であることで洞窟等を利用して構築した地下陣地から飛行場を狙えると言う地形上の有利さもありました。
(飛行場を占領しても日本軍陣地を駆逐しなければ安全な航空機の発着ができない訳ですから)

>日本軍の新兵器が米軍に大損害を与えたのだそうです

>L字型に曲げた板を斜めに立て、上にロケット弾を乗せて飛ばすという極めて簡素なものでした

 これは各種戦記にあります噴進弾(噴進砲)の記述と合致します。
 当初は大型迫撃砲と同様の外観で設計されたらしい噴進砲ですが自分が読んだ硫黄島の戦記では二枚の板をL字形に組み合わせた物を発射台としたとありました。

>航空用爆弾が100個くらい備蓄されていました。ところがまともに飛ぶ戦闘機が数機しか残されておらず、使い道が無かったのだそうです。これに筒を取り付け、火薬を詰めてロケットにし、敵上陸部隊に向けて…

 これは1943年11月の「ギルバート諸島の戦い」で当時の日本海軍の一部が出したアイデアによく似ています(このアイデアと噴進弾の開発が繋がっているかは不明です)。
 この筆者の方はその辺の記憶を混同されて書かれたかも知れません。

 噴進弾(噴進砲)そのものは,1944年5月1日に辻堂海岸で海軍首脳総出の視察実験が行われたと「高木惣吉」氏の著書(自伝的日本海軍始末記)にも記載されています。
 戦前の日本でも(兵器としての)ロケット技術がけっこう進んでいたことが判る記述です。

>こっちにも一応強行着陸での補給があったんですけどね、それに積んでたの青竹と花火ですよ

 これは「青竹と花火」から現地で噴進弾を製作したと考えるより,防諜のために「青竹と花火」は符丁であったとは考えられるのではないでしょうか。
 当時は大本営こそ認めていませんが日本海軍の実行部隊では米軍に暗号が筒抜けだとの認識があったようです。
(実際には作戦暗号はおろか補給用を含めた全ての暗号がほぼ瞬時に解読されていたらしい)
 ですから危険物の輸送用としての符丁に「花火」,兵器資材の符丁に「青竹」としたかもです。
(何も連絡せずいきなり爆発物のロケット弾を輸送するのは危険ですからね)

 もちろんこれは自分の推測です。
 硫黄島で,60 kg爆弾を弾頭,青竹を機体,花火の黒色火薬を推進剤としたロケット兵器を現地生産としたという話より,この推測の方が合理的であるように思えるのですが。

※更に青竹ロケット兵器を現地生産したことへの疑問点

o軽い竹を機体とし重い爆弾を弾頭にすると重心の取り方が難しい筈。
o60 kg爆弾を少なくとも1000m以上飛ばすには青竹一本では推力不足になるのでは。
 かりに数本以上を束ねたとして推力のバランスをどう取れるか。
o尾翼をどうするか。
(ちなみに噴進弾では尾翼を使わない「旋動(=スピン)安定式」を採用しているが青竹ロケットでこれを実用化するのは更に難しいのでは)

 以上です。何か,口頭諮問を受けたような気がした炬燵猫でした。
| 炬燵猫 | 2010/05/28 8:25 PM |
ひとつお尋ねします
ロケットの外皮にとって主たる応力発生源は
ロケットは長手方向のモーメントによる曲げが主ですか?
それとも内部圧力の引張りが主ですか?

青竹のロケットの話を聞くと、エンジン周りは内部圧力が主のようですね

よく考えてみれば、どこかのお祭りの手持ち花火が青竹+荒縄ですよね

けど・・・いい技術、いいアイデアは経済的にあるいは運命的に追い詰められなきゃ出てこないのはたしかにそうなんだろうけど・・・・
土木分野とはいえ設計を生業として仕事をしている人間にとってはものすごい辛い話ですよね・・・
| 高橋徹哉 | 2010/05/28 10:46 PM |
炬燵猫さん:

>「サイパンの戦い(1944年6月15日から7月9日)」が戦訓となったそうです。
>従って水際防衛作戦が無効に近いことは当時の陸軍の中にも浸透していったことと思われます。
>(少くともペリリュー島や硫黄島の守備隊司令部はそれを認識していました)

その通りです。そしてサイパンでの米軍の戦術を研究し、その結果を陸軍および海軍に浸透させるために奔走し、ペリリュー島守備隊にレクチャーを行ったのが、大本営陸軍参謀だった堀栄三氏率いる情報部隊であったことは、前回の記事で説明した通りです。

>この筆者の方はその辺の記憶を混同されて書かれたかも知れません。

それは有り得ないです。大曲氏は硫黄島以外の戦場を経験していません。また、ロケット弾のことは、捕虜になった際に、米軍から「あの新兵器は何なんだ」と尋問されるまで忘れてたそうです。

>これは「青竹と花火」から現地で噴進弾を製作したと考えるより,防諜のために「青竹と花火」は符丁であったとは考えられるのではないでしょうか。

強行着陸した飛行機に搭載された補給品を現地で開けてみたら青竹と花火だったので呆れた、という証言だと思います。

>軽い竹を機体とし重い爆弾を弾頭にすると重心の取り方が難しい筈。

弾頭が重い方が空力安定には有利なので、軽いほうがむしろ安定に飛ばすのに有利です。

>60 kg爆弾を少なくとも1000m以上飛ばすには青竹一本では推力不足になるのでは。

丘の上から250 mほど先の砂浜を狙ったそうです。何とも頼りない、ひょろひょろとした飛び方だったらしいので、推重比は2を切っていたかもしれません。捕虜(大曲氏ら生き残り)を尋問した時の米軍の証言によると、火の玉がゆっくりと向かって来た、だそうです。

>尾翼をどうするか。

弾頭が十分に重いですから、尾翼を付けなくても空力中心は重心よりも後ろになります。筒だけで安定したはずです。


高橋さん:

>ロケットの外皮にとって主たる応力発生源は
>ロケットは長手方向のモーメントによる曲げが主ですか?
>それとも内部圧力の引張りが主ですか?

内圧による引張りが圧倒的です。記事で触れた龍勢ロケットは木と荒縄で作られていますね。

>けど・・・いい技術、いいアイデアは経済的にあるいは運命的に追い詰められなきゃ出てこないのはたしかにそうなんだろうけど・・・・

そういう面は有りますね。我々も打上げの日程が決まると開発に身が入ります。上手に自分を追い込むというのは有効です。戦争はいやですけどね。
| 永田 | 2010/05/29 10:16 AM |
永田先生へ

 いくつかResさせていただきます。

>大曲氏は硫黄島以外の戦場を経験していません。

 前コメントは言葉足らずでした。
 1943年11月の「ギルバート諸島の戦い」後,同様の事態が起こった場合に航空爆弾を陸戦兵器として転用出来ないものかと海軍の一部で研究が始まったらしいことを差します。
 ただWikipediaによると海軍の艦載用ロケット弾は陸軍が開発した噴進弾(砲)を元にしたものと記載されているので,この辺りの詳細は不明です。

>丘の上から250 mほど先の砂浜を狙ったそうです。

 それぐらいの距離ですと爆雷投射機で対潜爆雷を飛ばすのに近いので物理的には考えられますね。
 ちなみに爆雷投射機は黒色火薬を発射薬とし,百数十圓稜雷を100m前後は投射できます。

 もしこの「英雄なき島」に書かれた記録が本当なら,この技術者達は爆弾投射機的な兵器をロケット版として考案したことになりますね。

>米軍死傷者の半分くらいは

 「硫黄島の戦い」では陸軍が開発した「噴進弾(噴進砲)」が使用され,米軍に多大な損害を与えたことは他の各種戦記に書かれていることですから,この海軍側の現地生産ロケット兵器が仮に使用されたとしても,実際の戦果はごっちゃになっていると思われます。
 ちなみにこの陸軍開発の噴進弾も弾道がフラフラとしたものだと日米双方の戦記に書かれていました。
 また速度が遅いので米軍兵士からも目視できたなんて話も読みました。
(昔の「丸」なので現在は手元にないのが残念です)
 と言うことで自分としては,陸軍が使用した噴進弾の戦果や記録を氏は海軍が開発したものだと記録違いしていると判断した次第です。
 この「英雄なき島」のことは該当部分を立ち読みした範囲の感想なので,誤りがありましたらまた正してください。
| 炬燵猫 | 2010/05/29 10:13 PM |
炬燵猫さん:

>同様の事態が起こった場合に航空爆弾を陸戦兵器として転用出来ないものかと海軍の一部で研究が始まったらしいことを差します。

了解しました。その流れを汲んだ実戦だったのかもしれませんね。その場の思い付きで実施可能な技術だとは思えないので。

>と言うことで自分としては,陸軍が使用した噴進弾の戦果や記録を氏は海軍が開発したものだと記録違いしていると判断した次第です。

硫黄島の戦いで四式20センチ噴進砲が使われたことは、以前から判明しています。前回の記事でも触れました。ただ、炬燵猫さんもコメントされたように、この兵器は爆発の割には弾片の威力があまり無く、大きな戦果は望めません。なのに米軍側の記録では多大な損害であったらしいです。ですから僕は炬燵猫さんとは逆に、今まで、現場で急造した噴進弾の戦果が、四式20センチ噴進砲の戦果として記録違いされてきたのではないだろうかと想像しています。

>また速度が遅いので米軍兵士からも目視できたなんて話も読みました。

四式20センチ噴進砲の初速は175 m/sだそうですので、目視はできます。CAMUI-90の初速より少し大きいくらいですので。けれども、250 m離れた位置から攻撃された時、着弾までの時間は1.5秒しか有りません。250 m向こうからCAMUI-90を打ち込まれたような感じです。視認できた瞬間に、もう着弾しています(思い出したくないことではありますが、経験で語っています)。「明るく輝く火の玉がゆっくりとこちらに向かい、着弾して大爆発を起こした」という、捕虜尋問時の米軍の証言とは合わないと思うのです。

大曲氏の証言その他から明らかになっている事実を整理すると以下の通りです。

・航空用爆弾を弾頭としたロケットの発射実験が、守備戦間近の硫黄島において行われていた。
・捕虜を尋問する米軍の大きな関心事の一つは、「輝く火の玉がゆっくりと飛んで来て着弾し、大爆発を起こす」新兵器の正体であった。
・上記新兵器により、莫大な損害が発生したらしい(尋問時の米軍証言)。
・硫黄島で入手可能な材料により、ロケット弾を急造することは、技術的には可能である。

以上を根拠として、航空用爆弾を弾頭としたロケットの発射が実戦においても行われたと考えるのが最も妥当であろうと思っています。
| 永田 | 2010/05/30 8:23 AM |
蒸し返すような質問で申し訳ないです
CAMUIの場合だけでなくロケットの内圧の起因はモーターと考えていいのでしょうか
・・・・んなわけないですよね。モーター自身がすでに耐圧構造ですものね。
では、内圧の起因はなんなのでしょうか?

技術屋は常に「よりよく」を求められる人間であると理解しています。
じゃあ、「よりよく」ってなんなのだろうと思うのです。
Aさんができる「よりよく」はBさんもできる「よりよく」でなければ認めてもらえない場合もあるじゃないですか
(その会社しか出来ない仕事って公共事業じゃないって言われたことがあります)

ロケットのことはよく分からないけど、サターンはAさんしかできない技術で、H2とシャトルはBさんにもできる技術なんではないのかなと思うのですよ。
| 高橋徹哉 | 2010/05/30 1:46 PM |
永田先生へ

 話は変わりますがCSWブログへのコメント作成用に資料がないかと書棚を引っかき回していましたら,「日本の軍事テクノロジー」光人社NF文庫を奥の方から見つけました。
 この中に,野村政彦氏(元陸軍技術本部第7研究所長/陸軍少将)が書かれた[陸軍版「奮進弾」完成への道程]という16頁ほどの文章がありました。
 この中には,噴進弾以前のロケット兵器として太平洋戦争前から「RAP弾」や「有翼ロケット弾」に「液酸アルコールロケット」等の研究をしていたとの記載があります。
 また,この陸軍版噴進弾の構造図を見ますと,推進薬は燃焼室に細い棒状のものを十数本程を束ねるように描かれています。
 これはおそらく,のちにペンシルロケットかベビーロケットに使用されたという日本油脂の推進剤だろうと検討をつけました。
 思わぬ発見でした。
 このブログのコメントがきっかけで思わぬ資料を発見できましたことに感謝いたします。
 ご丁寧なResも含めまして,ありがとうございました。
| 炬燵猫 | 2010/05/30 9:22 PM |
このスレッドで質問するべき事項ではないのかもしれませんが、サターンの一連のことについても関連があるやも知れませんのであえてここで質問します。

植松さんの話の中で
「衛星に使う部品で実績のあるやつを求めると30年前の部品が平気で出てくる」
というのがあります。確かにそうなのだと思います。
反面命を預かるような機器は安全の御旗の元、実績を重要視して古い型式の部品でも使うというようなことを行います。
一番いい例が航空の世界ですよね

さて質問ですが、サターンはペイロードが人という命でした(機械船等はありましたけどね)
そこで使われた技術や部品は実績のあるものだったのでしょうか?それとも最先端のものだったのでしょうか。
永田先生の琴線に触れる設計だったのだから、きっと実績主義なぼけた設計ではなかったのだと思うのですが。

これから今までにない軽くて安いグライダーを作りたいと思っている人間にとって、耐空検査とか、実績とか、安全性とか言う壁を乗り越える必要が出てくるのですが、その一つのヒントになるのではと思い質問します。
| 高橋徹哉 | 2010/06/10 9:19 AM |
すみません。コメントへのレスが漏れていることに気付きました。

>そこで使われた技術や部品は実績のあるものだったのでしょうか?それとも最先端のものだったのでしょうか。

起こり得る不具合を想定し、対策した上で、最先端技術が使われていたと思います。実績のある技術で月に行けるとは思えませんので。

例えば、サターンには固体ブースタが使われていません。液体エンジンのみで打ち上がります。固体ブースタは途中でストップできないからです。シャトルでは固体ブースタが動作しているフェーズは不具合が発生してもアボートができない魔の時間となっています。チャレンジャーの事故はこのフェーズで起きました。爆発の数秒前に燃焼ガスの漏れが視認されていますので、停止−アボートの時間は十分に有りました。停止できるシステムであれば。

サターンでは、不具合が発生してもアボートの手段が無い時間帯は、打上げフェーズにおいて1秒たりとも無いのです。だから初段に液体水素を使うなという話にも繋がるのですけど。

「内圧の起因」の件は、質問の意味がよく判りませんでした。すみません。
| 永田 | 2010/06/16 2:12 PM |
サターンの話しありがとうございました
「最先端でも最適解」ということだったという理解をしようと思います。

内圧について
当然モーターから発生するガスでロケット内がパンパンになっているなんてありえないと思うんです
内圧は内部の空気の大気圧だと思うのですが
無人のロケットって内部を1気圧に保つ必要なんかないと思うんです。つまり空気はだだもれで外部の気圧と同じになっていて外皮に内圧なんぞかからないのでは?と思うのですが・・・・
| 高橋徹哉 | 2010/06/16 4:19 PM |
亀レスで申し訳ありません。

>当然モーターから発生するガスでロケット内がパンパンに
>なっているなんてありえないと思うんです

ところが、実際はその通りです。高圧容器に大穴が開いている状態を持続させるのが、ロケットの作動の本質です。うるさいわけです。

ちょっと専門的に説明すると以下のようになります。燃焼室内壁にかかる圧力により生じる力のベクトルと微小面積の単位法線ベクトルとの内積を内壁全面に渡って積分すると、後ろに大穴が開いている分が効いて、前向きの力が残ります。これがロケットの推力です。
| 永田 | 2010/06/25 8:21 AM |
先日はありがとうございました。
さて、散るぞ悲しきの文庫版を読んでましたら

>  現地に備蓄されている爆弾を弾頭とし、竹で即席のロケットを作り、敵上陸部隊に打ち込んで大損害を与えた。これが事実なら、その計画を立案し、ロジスティクス(竹と火薬)を指示した人がいた筈です。

について、若干の示唆として、すでにご存知かとは存じますが、同p99に、硫黄島司令部から、8月1日の電報で兵器として25ミリ機銃70丁、250キロ爆弾噴筒50を要求したが、届いた兵器は25ミリ機銃75丁だけだったという記述があります。
ですので、現場でくれと言ったものを、これで代わりを作れ、ということで送った部材だったのではないでしょうか。

実は散るぞ悲しきでも、初日に噴進砲で打撃を与えている旨の記述(p158)があるのですが、ないはずのものが火を吹いているというこの辺の矛盾に突っ込んでいかなかったのはライターさんがその手の専門家ではなかったからかなと。

ちょっとだけ気がついたことということで。
| ふなはし | 2010/07/17 6:34 PM |









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