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CSWブログ

北海道に生まれた民間宇宙開発企業カムイスペースワークス。 略して「CSW」 ブログはこちらに引越しました。
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続・「命が一番大事」という神話(永田)
 「命が一番大事」という神話に高橋さんから頂いたコメントへのレスが長くなりそうなので、エントリに改めることにしました。レスしたいのは以下の部分です。


 命は大切です

 それは「あなた」の命が大切なのであって「わたし」の命が大切なのではないです。


多分、同じことを言っておられるのだと思いますけど、僕は、自分の命を大事にするのは自分のためではないと思っています。

 命の大切さというのは、人との繋がりから生まれてくるものだと思います。自分を大事に思ってくれる人の存在を意識できれば、自分の命を大切にしなきゃ、って思えます。命が大事だから大切にするのではなく、その人が大事だから大切にするのです。その人というのは、親であったり、家族であったり、友人であったり、恋人であったりします。同時にその人たちは、命を懸けてでも守りたい大切なものでもあるかもしれません。

 「全ての命は掛け替えの無いものだ」という言葉には、大事な部分が欠けています。正しく補えば、「全ての命は誰かにとって掛け替えの無いものだ」と言うべきなのです。このように正しく補ってもまだ、このような血の通わない一般論が子供の胸に届くことは少ないでしょう。

「君たちの命は、掛け替えの無い大事なものなんだよ」という言葉が子供たちの胸に届かない理由は、その言葉が人との繋がりを連想させないからです。せめて、「掛け替えの無い大事なもの」の前に「僕にとって」と付けろと言いたいです。それを付ける覚悟が無いなら最初から何も言うな。子供たちが欲しているのは自分を大事に思ってくれる人の心であって、命の大切さなどという血の通わない一般論ではないのです。

 ちょっと想像してみてください。「君の命は掛け替えの無い大切なものなんだよ」という言葉と、「僕は君のことをとても大切に思ってるよ」という言葉の、どちらが子供の胸に届くでしょうか。自分を大切にしなきゃ、と子供に決意させる言葉はどちらでしょうか。僕は後者だと思います。こういうのが本当の「命の教育」なんじゃないでしょうか。


| 社会一般 | 09:52 | comments(5) | trackbacks(0) | pookmark |
命が大事、は愛情とセットじゃないとその効力を発揮しないということになりますか。

そりゃそうですよね、「自分の命だから大事」じゃ只のエゴイズムに堕してしまう。
結果、他の命も顧みなくなる。

「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」と申しますが、決して封建的な意味合いではないということになりますね。
| (ぐ) | 2010/11/27 11:42 AM |
>「身体髪膚これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは孝の始めなり」

ですね。

しかし、こういう古い言葉がよくポンポンと出てきますね。いつもながら感心します。
| 永田 | 2010/11/27 6:45 PM |
「全ての命は誰かにとって掛け替えの無いものだ」

この言葉は大人にも届いていないのではないかなあ

うちの会社でも恥ずかしながら労働災害で命を落とした人間がいます。
そのときの反応が非常に気になるものがある
ある人間は「こんな将来あるこんなまじめな若者が命を落とすとは」と悲しむ人
ある人間は「こんなときに労災なんぞ起こしやがって」となる人

「何のために自分の、そして人の命を守るのか」
その一番の根幹の問題さえ怪しい世の中ではないのかなと思うこのごろです。
| 高橋徹哉 | 2010/11/29 9:08 AM |
おそらく、「命」という単語を使うと、
一般論になってしまうのでは?
僕は、「命」という単語は、きっと使わないようにしています。
「命」が大切なのではなく、「人の可能性」が
大切だと思います。

「命は大切だ」という人の目は、人を見ていないような気がします。だって、細胞で構成される生物すべてに命があるからです。
それは、「命は大切だ」といいながら、特定の生物の保護のために、人の命を危険にさらすような人たちに似ています。

命は、長くもあり、短くもあります。
とにかく明確なことは、永遠ではないということです。
生きたくても、生きられない命があります。
生きてほしいと望んでも、生きられない命があります。
大事なことは、その命を、どう活用するかです。
活用が、生き様です。

人は、人から必要とされたいです。
でも、100%の理解はありません。
きっと、「必要とされていると思いたい」のです。
道路を歩いているとき、いきなり、
「私はあなたが必要です。」と言われたら、
ちょっとまってよ。なにそれ?です。
危険なにおいがぷんぷんします。
人から「必要だ」と言われるより、
「必要だと思われている」という思い込みの方が効きます。
世界から必要とされなくていいです。
どうやら自分がいた方がいいみたいだな、と思える相手がいると、人は生きられるような気がします。
思い込みでいいんです。
というか、思い込みしか無いのだと思います。

だから、
「命を大切にして」ではないのです。
「死なないで」です。
生きていれば、出会いがあるからです。

僕は、昔のコマーシャルの、
「人生、投げたらあかん」というのが好きです。
柔道家の山下選手が、思いっきり人間を投げ飛ばしながら、「投げたらあかん」と言うコマーシャルです。
人の目を見ていない一般論なんかより、
はるかに思いが伝わるコマーシャルだったと思います。
| 植松 | 2010/12/01 8:40 AM |
この辺のエントリーは実感としてその通りです。僕がきっと永田先生や植松さんと、仲良くできるのもそういう感覚があるからだと思います。
でも、僕にとってその実感を与えてくれたのは結婚してからで、保険屋さんと打ち合わせをしているときに(生命保険の打ち合わせなので当たり前なのですが)、死んだ後の保証の金額を打ち合わせていたら、横で家内がブチギレて「なんで、あなたが死んだらどうするとか話してるの!!」と激怒されて、初めて、「こんな人間でも死んじゃダメなんだ」とものすごく痛感しました。
その裏返して、僕はこの家族の命がかげがえなく大切なんだと思い知りました。この家族の命が大事だし、この家族の幸せが大事です。そのためには社会作りこそが重要なので、こんな貧乏事業主なのに東奔西走しております。
まぁ、そういう感覚の人々と飲めることも大事なので、永田先生も植松さんも御身お大事に。お二人も、当然、私にとってはかけがえない命ですので。
| ふなはし | 2010/12/20 1:29 AM |









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