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北海道に生まれた民間宇宙開発企業カムイスペースワークス。 略して「CSW」 ブログはこちらに引越しました。
「命が一番大事」という神話(永田)
 久しぶりのエントリです。エントリの仕方を思い出すのに時間が掛かりました。政権批判と、その政権を選んだ無責任で傲岸でメディア脳な有権者批判に終始して dark side of the force に落ちそうな予感満々なので、エントリを控えてます。今日は別の話題が書けそうなので、久し振りに書いています。

今日は午後から植松電機で定例会議でした。帰路のラジオで、命の大切さがどうしても子供たちに伝わらない、という話題をやってました。「君たちの命は、世界中の何よりも貴重で大事なものなんだ」というような話が朝礼で繰り返されます。いい加減にして欲しいです。命より大事なものに出会ったことが無いのでしょうか。

「君たちの命は、世界中の何よりも貴重で大事なものなんだ」という言葉を聞くと、僕は気持ちが萎えます。「政治の最大の責務は最小不幸の実現だ」と総理に言われた時に感じる残念な気持ちと共通するものがあります。ワクワクが削がれるのです。もしこの世に命より大事なものが無いのであれば、僕はそんな世界で生きるのは願い下げです。歯を食い縛る価値が無いです。僕は命が大事だから歯を食い縛って生きているのではありません。あんたはそうかもしれないけど、僕は違います。馬鹿にするなと言いたいです。

ここを読んでいる学齢期の皆さんに断言します。「この世で一番大事なのは命」というのは、嘘です。だから安心してください。この世には、命を懸けてでも守りたいものや、命を懸けてでもやりたいことが、沢山有ります。そういうものに出会えるから、あるいは出会ったから、僕たちは歯を食い縛って生きているのです。

命が大事だから生きているのではないのです。
命が大事だから生きているのではないのです。

大事なことなので2回言いました。


| 社会一般 | 18:53 | comments(7) | trackbacks(0) | pookmark |
憲法記念日(永田)
 今日は憲法記念日です。1947年に日本国憲法が制定されたのを記念して定められた祝日です。3年前のことになりますが、北海道新聞の「越境両断」というコーナーで、憲法改正に賛成する立場から答えたインタビュー記事を掲載頂いたことがあります。護憲派に位置する北海道新聞に、憲法改正賛成の立場で記事が掲載された数少ない事例の一つだろうと思います。当時、文化部を担当しておられたT記者と酒席で盛り上がり、その話面白そうなので後日取材してもいいかと打診頂いたのがきっかけでした。

 1947年の日本はまだ占領下でした。占領下に制定された憲法を保持している国家は、国連加盟国の中で日本だけです。そもそも、占領中にその国の憲法を制定させるという当時の米国の行為が、国際慣例としては異例と言えると思います。我が国は日本国憲法を主権を有する立場で立法機関(国会)において承認したことが一度も有りません。サンフランシスコ講和条約が成立し、独立を回復してから改めて、日本国憲法の発効を国会決議しておくべきではなかったかなと思います。手続き上の話から言えば、我が国の正式な憲法は大日本帝国憲法(いわゆる明治憲法)なんだけれども、実際は日本国憲法がデファクトスタンダードとして使われている、というのが現在の我が国の状況だと思います。

 憲法改正というと必ず9条が論点になりますが、僕が記事において改正を主張したのは9条ではありません。9章です。憲法改正をほぼ不可能にしている96条が書かれている章です。憲法改正は国会だけでできるようにして欲しいです。立法府なんですから。憲法すら変えられなくて何が立法府だと思います。我々国民は立法という権利を付託するために国会議員を選挙で選び、養っているのです。

 改正して欲しいもう一つ。前文。僕は日本国憲法の前文が好きになれません。ルース・ベネディクトの「菊と刀」の匂いがするからです。日本人論としてあまりに有名な「西洋人は罪の文化、日本人は恥の文化」という、あれです。日本人は外界からの目が無いとモラルを守れない。だから外から律してやらなければいけない。未だにこんな低俗な日本人論が読まれている理由が、僕にはさっぱり理解できません。我々が恥を感じる相手は、ご先祖様であり、お天道様であり、更には自分自身なのであって、外からの規律ではありません。清き明き心を美徳とする神道の価値観を縄文の昔から大切にしてきた民族を舐めるなと言いたいです。外から律しないと何をするか判らない日本人を律するために作られたのが日本国憲法。だから簡単に変えられない(縄が解けない)ように、非現実的な改正条項(96条)が付いています。その精神を端的に謳ってるのが憲法前文。菊と刀の匂いがぷんぷんします。

 憲法とは、国の在り方を規定するためのものです。憲法は権力を縛るためのものだと思っている人が多いですが、大間違いです。誰が権力を握っても大したことができないようにガチガチに縛った上で、誰が政権を取っても同じとばかりに政治に関心を持たないのは有権者の怠慢です。我々の投票行動こそが権力を縛るのです。これ以外のもので、権力を縛るべきではありません。条文で権力を縛るのを自縄自縛といいます。我々国民が付託した権力なのです。縛られるのは我々なのだと気付かなければいけません。また、権力を縛ると有権者が劣化します。例えば、日本国総理大臣に核ミサイルのボタンを押す権利が与えられていたとしたら、それでも「お灸を据えたい」という傲慢で無責任な投票動機を保持する人がどのくらいいるでしょうか。

 酒席ではこんな話題で盛り上がったのですが、記事に掲載頂いたのはごく一部です。興味が有る方はこちらからご覧ください。


| 社会一般 | 09:54 | comments(4) | trackbacks(1) | pookmark |
ヤバい経済学(永田)
   4年ほど前にベストセラーになった「ヤバい経済学」という本が有ります。遅れ馳せながら今年の正月に読んだのですが、期待以上の面白さでした。「経済学」という学問に対する印象が変わりました。複雑に相関する社会の事象から、統計学の手法を駆使して因果関係を探り当てる、という内容なのですが、本当は社会学の研究者がやらなきゃいけない仕事なんじゃないかと思います。結論を決めた後、その結論に至る根拠を探し出して好都合な論旨を仕立て上げるという手法がまかり通ってる業界の方々には無理でしょうけど。

 主役となる経済学者はシカゴ大学のスティーブン・レビット。彼の研究を判りやすく噛み砕いて本に纏め上げるのがスティーブン・ダブナー。両者の共著ということになっています。この経済学者が最初に注目を集めたのは、1990年代に全米で犯罪率が激減した理由を解明した論文でした。当時は、ニューヨークのジュリアーニ市長の指揮の元、「割れ窓理論」が成功した、という認識が一般的でした。しかし、データを詳細に調べてみると、ニューヨークで犯罪率が劇的に下がり始めたのは1990年(1993年時点で既に20%減少)、割れ窓理論の実践が始まったのは1994年。実は両者には因果関係が無いのだそうです。その他のデータを全て洗った結果、スティーブンは今まで誰も指摘しなかった要因を突き止めます。1970年代に中絶が合法化されたのが、1990年代に犯罪率が激減した原因だというのです。この論文の論旨は精緻なもので、中絶の合法化と犯罪率の激減は相関関係ではなく因果関係であるという論証まで行われました。1970年代、全米で一斉に中絶が合法化されたわけではなく、州によって数年のずれが有ります。犯罪率の州ごとのデータを調べると、中絶が合法化した年と犯罪率が急減を始める年との間に、強い相関が有るのだそうです。また、各州での中絶率と犯罪減少率との間にも強い相関が有ることが示されました。

 彼の論文は純粋に学術的なものでしたが、社会から強い批判を浴びました。中絶推進論者のレッテルを貼られたのだそうです。研究者として真摯に数字に向き合い、精緻な論考の末に辿り着いた結論の背景には政治的主張は無かっただろうと思います。むしろ、この本の中では、米国で毎年150万件実施される中絶(150万の胎児の命)が、米国で毎年殺される1万人の命(を救うために犯罪率を低下させること)に見合うだろうか?という疑問が投げ掛けられています。学術的論考とモラルとは分けて考えなければいけないという好例だと思います。

 さて、ここまでの話はイントロです。最も印象深かった論考は、子供の教育に関する分析でした。子供の成績を上げるためにはどんな子育てが有効かを、経済学の手法から明らかにする、というものです。分析の手法は同じです。子供の事情と、その子の成績に関するデータを数多く集め、統計学の手法を駆使して因果関係の大小を調べるのです。因果関係が強い事情は、成績を上げるのに有効なので、わが子に提供すべき、ということになります。16個の事情に関して相関が調べられ、以下のような結果が得られました。

意味アリ: 親の教育水準が高い。
意味ナシ: 家族関係が保たれている。

意味アリ:親の社会的・経済的地位が高い。
意味ナシ:最近よりよい界隈に引っ越した。

意味アリ: 母親は30歳以上で最初の子供を産んだ。
意味ナシ: その子が生まれてから幼稚園に入園するまで母親は仕事に就かなかった。

意味アリ: 家に本がたくさんある。
意味ナシ: ほとんど毎日親が本を読んでくれる。

意味アリ: 親は家で英語を話す(米国での研究なので、移民ではないという意味)。
意味ナシ: 親はその子をよく美術館に連れて行く。

他にも有るのですが、個別の事例よりも、それを一般化した解釈のほうが大事ですので、残りは省略します。上記を一般化すると、要するにこういうことです。相関が強いのは、「親がどんな人か」という事情ばかりです。相関が無いのは、「親が何をしてあげるか」という事情ばかりです。つまり、子育てで大事なのは、子供に何をしてあげるか、ではなく、自分(親)はどんな人か、なのだそうです。これはモラルの話ではなく、学術的論考から得られた結論です。

さて、この話を読んだ親がどう思うかで、その後の我が子の人生が分かれます。「何をしてあげても意味無いんだわ。親なりの子にしかならないんだわ」 と思っては駄目です。「子供を変えたければ、自分(親)を変えればいいってことじゃないの。子供にガミガミ押し付けなくていいなんて、有り難いわ。他人を変えるのは至難の業だけど、自分を変えるなら簡単だわ」 と思う親を持つ子は幸せです。我が子に夢を持って欲しければ、自分が持てばいいのです。勉強して欲しければ、自分がすればいいのです。

デフレの次」という記事の中で、最後にこう書きました。インフレ経済下では売り手有利ですから、売り手に回る努力をすれば報われます。作ってあげる側、してあげる側に回る。これがインフレ経済を生き抜くための鉄則です。してあげられないまでも、できるだけしてもらわずに済ませる。そのためには能力が必要です。

平均で、中学生の学習塾に年間で25万円かかるそうです。してあげられないまでも、できるだけしてもらわずに済ませる。自分で教えてはどうでしょうか。数学だけで結構です。他の科目も数学に引っ張られて上がりますから。急には無理でも、例えば我が子が小学生であれば、中学の数学をマスターするのに数年の猶予が有ります。数年かけても中学の数学がマスターできない人は、ごく不通に社会生活を送れている人であれば、いないと思います。開成高校に受かるのを目指すくらいの勢いで、本気で勉強するのです。子供が二人いれば150万円儲かる計算になります。親が勉強すれば子供も負けじと勉強するので(母親に数学で勝てないなんて普通の子なら許容できないです)、教える必要もなくなるかもしれません。

具体的な勉強の仕方については、以前に「知的訓練」というエントリで書きましたので、再掲します。各学年で5冊、3年分で15冊程度の問題集を解き潰せば、中学の数学をマスターできると思います。


| 社会一般 | 23:28 | comments(6) | trackbacks(0) | pookmark |
知的訓練(再掲、永田)
 もう一件、引用したいため再掲です。過去の記事を引用しながらエントリするスタイルが多いため、なんとも不便な状況になってしまいました。ご容赦ください。

(以下、再掲)
2007/06/02 07:40

 今期から「テクニカルイングリッシュ」という授業を担当しています。5〜6人のグループを相手に、技術論文で使われる英語を指導します。1グループにつき3週。一期(半年)で5グループを担当します。今は2グループ目が終わったところです。実は、当研究室ではこれと似た形式のゼミを、卒論生を相手に創設当時からやっています。

 

 指導をしていて毎回思うことは、彼らのリーディング能力の低さです。今の中学や高校の英語の授業では音読の練習をしないのでしょうか。みんなで声を揃えてやるあれです。集団行動の強制に見えるかもしれませんね。もしそういう理由でやらなくなっているのだとしたら、愚かなことです。

 

 授業では最初にリーディングをやらせます。その後に訳させるのですが、単語の意味を無分別に繋げただけの酷い訳である場合が多いです。その時は、訳の説明をせず、もう一度読ませます。更に、僕が読んで聞かせます。これだけで、正しい訳に到達できることが多いです。正しい読み方には文章の意味が宿ります。リーディングは大切なのです。逆に、正しく読めない文章は正しく訳せるわけがありません。文章の意味が取れているのに正しく読めないなんて有り得ないからです。英語を上達させる上で一番大事なことは、何度も声に出して読むことです。これは訓練です。強制してでもやらせなければいけません。

 

 僕の数学の勉強法は、ちょっと変わっていたかもしれません。参考書より先に問題集を使います。問題を見ると、直ぐに答えを見ます。で、その答えをノートに書き写します。次に、答えを見なくてもその論述ができるまで何度もノートに書きます。参考書に戻るのはその後です。問題の解き方が頭に入ってからの方が、数学の体系が見え易いんです。ああ、だからこうやって解くのか、という感じです。数学の体系が見えれば、他の解き方も自由自在になります。この勉強法は大学院受験でも威力を発揮しました。流体力学も熱力学も構造力学も、このやり方でマスターしました。この勉強法の導入部は明らかに訓練です。一つの解き方を身に着ける訓練。この訓練をやらないと、その後の理解が浅くなるような気がします。

 

 中学時代に愛用していたのは「特訓問題集」という問題集です。問題と解答が別冊になっていて、解答は問題の倍の厚さがありました。高校時代も、解答の頁数が問題の頁数より多い問題集を探して愛用していました。数学だけで、毎年5冊くらいの問題集を解き潰していた記憶があります。

 

 子供の頃の僕は、先生の言うとおり、教科書の言うとおりに一生懸命に勉強する子供だったと思います(親には勉強しろと言われたことが無いですが)。この時の知的訓練で培った力が、今の研究で独創性を発揮する基盤になっています。

(再掲以上)


ブログラン キングへ

| 社会一般 | 23:12 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
デフレの次(再掲、永田)
 引越し以来、 ブログ投稿からすっかりご無沙汰してしまいました。次の記事で引用したいので、古い記事で恐縮ですが再掲です。オリジナルでは4回に分けて書いたものを纏めて掲載しますので、凄く長いです。

(ここから再掲)
2009/12/13 21:17

 民主党政権による未曾有の国債発行の中でデフレスパイラルに突入しようとしている、よく判らない状況にいる我が国ですが、いずれにしろ、僕たちとしては未来を予測し、備え、生き残らなければなりませんので、これから何が起こるのかを予測することがとても大切です。さて、本題に入る前に、僕はこれからのエントリを、民主党政権の政策が稚拙なために我が国のデフレ脱出は大幅に遅れそうだという判断の下に書こうとしています。そう判断する根拠を一つ、最初に示しておこうと思います。最近出回っている図ですので見たことが有る人も多いと思いますが、まずはこちらをご覧ください。鳩山ジャパン一人負けと同時に、米英(と麻生政権までの日本)が一貫して延びていることに着目頂ければと思います。

 

 これから来るのがデフレかインフレかを予測するためには、デフレやインフレがどのようなメカニズムで起こるのかを理解しておくことが必要です。基本的には、通貨と物との相対的な価値の上下でどちらに進むのかが決まります。通貨も物も、供給が過剰になれば価値が低下します。ならば、デフレを解消したければ通貨の供給を増やせばよろしい、ということになるかというと、そう単純ではありません。例えば国債を大量に発行すると買い手が不足するため、需給関係のバランスにより金利が上昇しますので、国債の大量発行はインフレを招くと、一般的には信じられています。ところが、今の日本ではそうなっていません。デフレの進行と国債の買い手の増加とが連関しているためです。どういうことかというと、

 

デフレ → 金利が下がる → 高利回りの投資先が減る → 国債の相対的な魅力が増大する → 国債の買い手が増える → 国債の金利が上がらない → デフレが継続する → 金利が下がる

 

というループが出来上がっているのです。このループは、少なくとも日本人の資産の全てが国債に置き換わるまでは続きます。日本国の国債残高は800兆円、日本人の金融資産は1200兆円ですので、毎年40兆円ずつ国債残高を増やしても、あと10年はデフレが継続すると考えた方がいいです。国民新党のゴリ押しにより郵政民営化が後退しましたので、郵便貯金は全部国債に入れ替わるための準備OKです。金融資産が全部国債に置き換わっても、通貨発行権を保有する日銀が直接国債を購入する(日銀の直接引き受け)というウルトラCも有ります。

 

 もう一つ、いくら通貨供給を増やしてもデフレが進行するメカニズムが存在します。以前、「変えなきゃ馬鹿の壁」というエントリで、「ニクソンショック以後の、バランスシート毀損(収益を借金返済に回さなきゃいけない状況)に起因する不況は、どのような金融政策をもってしても脱出できません。」と書きましたが、これが、もう一つのメカニズムです。何故脱出できないのかを理解するためには、銀行の信用創造という機能を理解しておくことが必要です。

 

 銀行は与信という業務を通じて信用を創造することができます。例えば、A社がB銀行に一万円を預けます。B銀行は預かった中から九千円をC社に貸します。C社はD社から九千円分の商品を買います。D社はE銀行に売り上げの九千円を預けます。この時、総預金残高は、B銀行の一万円とE銀行の九千円を合わせて、一万九千円です。元々有ったお金は一万円ですので、九千円増えているわけです。これを、銀行の信用創造機能といいます。

 

 預金残高が通貨供給量の何倍に膨らむかを示す数字を、信用乗数と呼びます。我が国の信用乗数は、10前後で推移してきました。銀行は、与信という業務を通じて、通貨供給量を10倍に膨らませています。貨幣の価値を考える上で、マネーサプライ以上に信用乗数が大きな影響を持っているということがご理解頂けると思います。

 

 バランスシート毀損(収益を借金返済に回さなきゃいけない状況)に起因する不況とは、銀行の信用創造機能が毀損されたことにより発生する不況です。お金が手に入ったら借金を返そう、ということは、いくら通貨を供給しても借金返済に回されて信用乗数が減少するだけ、ということです。だから金融政策が機能しないのです。バランスシート毀損に起因する不況を克服するためには、信用乗数を回復させる必要があります。そのためには、銀行の信用創造機能を回復させることが不可欠です。だからこそ、公的資金を入れてでも、銀行を救済するのです。

 

麻生政権当時、「金融政策が無力であることを知っている政治家をトップに戴いていた我が国は、なんて恵まれていたことでしょうか。」と書いたことがありますが、ここで改めて、麻生政権の経済対策を見直してみたいと思います。まずは、昨年11月です。世界金融サミットにおいて、「危機の克服」と題する提案を手に、麻生総理自らの各国トップへの直談判により、各国が協調して財政出動を行うことを説得して周り、その原資としてIMFに1000億ドルの資金提供を申し出ました。これに対してIMFのストロスカーン専務理事は「人類の歴史上、最大の貢献」という最大級の賛辞で謝意を表明したことは以前に書いた通りです。麻生提案の具体的内容は、不良債権の公開および切り離しと公的資金注入による不良債権処理です。銀行の信用創造機能を回復させることに明確にターゲットを定めています。この麻生提案にいち早く賛意を表明した国の一つが英国でした(こちらを参照)。その後の英国経済(と麻生政権までの日本)の回復ぶりを改めて思い出してください。

 

 サブプライム破綻に起因する世界同時不況において、幸いなことに、我が国の金融機関が抱えた不良債権は欧米諸国に比べて少なく、銀行はあまり傷付かずに済みました。そのため、不況克服のための処方箋は、日本においては銀行への資本注入は必要無く、中小企業の破綻を回避することによる不良債権発生の抑止、ということになります。さて、麻生政権の経済対策を見直してみましょう。総額においてハイライトは、圧倒的に、本年4月の経済危機対策です。総額57兆円。その内訳をこちらの資料から見ることができます。驚くことに、全体の75%に当る42兆円が、中小企業の資金繰り対策に充てられているのです。信用乗数下落回避に一点集中した経済対策です。いささかの迷いも有りません。その見事さは今見直しても息を呑みます。

 

 衆議院選挙の直前に、「民主党は、政権を取ると、現在経済を下支えしている予算を停止するそうです。これにより、直ちに雇用悪化と中小企業の連鎖倒産と需要縮小とが起き、互いに連鎖し、今まで誰も見たことが無いようなデフレスパイラルになります。無駄遣いを無くして12兆円の財源を確保するのだそうですが、税収が20兆円減少する中でこの議論は吹っ飛ぶと思います。」と書きました。上記資金繰り対策の停止による信用乗数の急落を予想して書いたのですが、幸いなことに、鳩山政権はこの予算の停止は見送りました。お陰で税収の減少は10兆円で納まりました。と安心していた矢先に、来年は更に10兆円税収が減るなと思わされる法案が可決されました。恐らく、来年の税収の半分は消費税になるでしょう。


2009/12/20 20:34

10/1(木)に「有人宇宙開発に進むための戦略」という記事をエントリしました。要約すると、インフレ耐性を強化させる分野に集中的に投資をしながら財政を拡大させることにより、国債を刷れば刷るほど財政が健全化するという状況をつくることができる、というものです。このエントリの翌週、植松さんから、「同じようなことを主張している人がいますよ」と一冊の本を手渡されました。タイトルは「自衛隊」無人化計画。ハイテク軍備への一点掛け流し投資で経済活性化と財政健全化を一挙にやってしまおうという提案です。我が意を得たりという感じでした。

 

 研究開発への投資がインフレ耐性の強化と経済活性化に有効である最大の理由は、人が育つからです。それも、産業の最上流の、0から1を生み出す人材が。例えば、事業仕分けで一躍注目されたスパコン開発事業。当初の総事業費は258億円でした。どのような内訳かはよく知りませんが、例えばポスドク(研究者の卵)の雇用に全体の1割、残りを開発費に使用するとします。ポスドク人件費を年間400万円、大企業において技術者の雇用に必要な年間売り上げを3000万円とすると、この事業により、645名の研究者と774名の技術者が育ちます。1400名の科学技術頭脳労働者が我が国にもたらす経済的価値には計り知れないものが有ります。

 

 現時点の我が国の経済状況では、デフレの進行と国債の買い手の増加とが連関しています。デフレが進むほど、魅力的な投資対象が無くなりますので、銀行は国債を買わざるを得ない状況になります。銀行が数多有る金融商品から国債を選んで購入する理由はただ一つ、デフレが進む中では国債が一番市場価値が有るからです。というわけで、いくら国債を刷っても買い手に不足することは無く、国債の金利は上がらず、デフレが継続します。更に悪いことに、秋の臨時国会において、所謂モラトリアム法案が成立しました。デフレ脱出のために信用乗数の拡大が必要な時期に、借り手を不良債権と看做してあげることを銀行の努力義務とする法案を成立させるのですから、空いた口が塞がらないです。これにより銀行の信用創造能力が毀損され、デフレは益々進むでしょう。党内で一番の財政通が藤井裕久という時点で、この政権は終わっています。細川政権時代に時の藤井蔵相が何をしたか、歴史から学んでみることをお勧めします。

 

 デフレが進む状況は、あと10年は続くと思いますが、いずれ終わります。問題は、その終わり方です。理想的なのは、「有人宇宙開発に進むための戦略」や「自衛隊」無人化計画で述べられているような戦略です。それでは最悪はどんなパターンでしょうか。例えば、日本だけに厳しい二酸化炭素排出規制を課すと同時に円高を容認すると宣言し、製造現場を国外に移転させると共に中小製造業を倒産させ、しかる後に、なるべく製造業強化に直接流れない名目(子供手当てとか)で財政を膨らませて国債を刷りまくる、なんてのは最悪だと思いますが、これを本当にやるとどうなるでしょう。

 

 国債を際限無く刷っていると、いずれ返し切れなくなり、破綻する、と一般的には信じられていますが、これは有り得ないです。通貨発行権を有する国家が、自国通貨建ての債権を返せずに債務不履行になった事例は、ニクソンショック以降、存在しません。円建て債権による借金はいくらでも返せます。円の価値下落なら、起こり得ます。恐らく、こういう手順です。まず、国内金融資産の殆どが国債に置き換わった時点で、国債の買い手不足が発生します。新たな買い手は日銀以外に有りません。日銀の直接引き受け、というやつです。通貨発行権を有する日銀は、いくらでも、国債を買うことができます(だからこそ、日銀の直接引き受けは禁じ手とされているのですが)。通貨供給量の増加は、暫くの間は、金融機関のバランスシート毀損の穴埋めに使われます。通貨供給量の増加を信用乗数の減少が食ってしまうことにより、デフレが継続します。バランスシート毀損の穴埋めが完了後、インフレが始まります。貨幣価値の減少により債権の価値も減少しますので、日本国の借金は目減りし、返済が楽になります。この過程で、国民の金融資産が失われることは言うまでも有りません。

 

 日本で起こりうるインフレの最悪パターンを想定してみましょう。インフレは需要増大と供給力減少のカップリングにより起こります。戦火により工業生産力が戦前の1/10に落ち込んだ本土へ、満州、半島、樺太、千島、台湾、南洋諸島から一斉に国民が引き上げて需要が急増した終戦直後以上のインフレは、我が国の歴史上、有りません。今後も無いと思います。この時のインフレ率が今後の最悪と考えていいでしょう。狂乱物価とも呼ばれますが、年率にしてどのくらいのインフレが何年続いたか、皆さん、ご存知でしょうか。アルゼンチンやジンバブエやブラジルで普通に一万パーセントなんていう数字を聞きますので、数千から数万パーセントだったのかなと、何となく思っていました。何しろ、「狂乱物価」ですから。答えはこちらに有ります。驚く無かれ、1947年10月に記録した180%が最大なのです。一般的に、月率50%、年率13,000%以上をハイパーインフレと呼ぶそうですが、戦後の狂乱物価はピークでもこの1/70のインフレ率でした。所謂狂乱物価は五年間続き、その間の平均インフレ率は年率で59%だったそうです。我が国のインフレ耐性は変態(それって誉め言葉?)としか言い様が無いです。

 

 さて、終戦直後の、我が国最悪のインフレを、時の政権はどのような政策で乗り切り、それにより、社会ではどのような現象が起きたのでしょうか。これを学んでおくことは、ハードランディングの場合に来るであろうインフレに備える上で有益であろうと思います。デフレの後にインフレが来るというのは、不幸中の幸いでした。これが逆だったら、対処の手段は皆無に近かっただろうと思います。


2009/12/31 09:05

デフレとは、通貨の価値が物に比較して高くなることです。インフレに心を痛める親を見ながら育った僕らの世代からすると、結構なことではないかと思います。僕が小学生だった昭和50年前後、政治への要望はいつも、「物価を下げて欲しい」が上位を占めていました。三木武雄が総理大臣に就任した喜びの声で沸く地元での街頭インタビューで、「新総理に何かお願いが有りますか」と聞かれた小学生ですら、「物価を下げて欲しい」と答えたものです。

 

 物が安く買えるのは、悪いことではありません。それでは何故デフレがよろしくないのか。「売り手である会社の売り上げ減少が巡り回って、あなたの給料も下がるでしょ?」という説明がよくなされますが、それだけならプラマイゼロですので、ノープロブレムです。本質的な問題は、人の価値が下がることです。「物の価値」とは「労働の価値」が転化したものですので。労働の価値が次第に評価されなくなるのが、デフレスパイラルの怖いところです。個人の努力に対する評価が減退していく環境から、個人の努力で抜け出すのは、なかなか難しいです。

 

 個人の労働の価値を評価する指標といえば、国民一人当たりのGDPです。1993年にはOECD諸国で1位だった日本の一人当たりGDPは、2007年には14位まで後退しました。日本人一人の労働が創出する価値が、次第に下がってきています。これが、デフレの本質です。

 

 新規国債発行高が税収を上回るような財政は、いずれ、破綻しますが、破綻まではまだまだ頑張れます。我が国の財務官僚が、国債残高が総金融資産を下回っている段階で金融市場に混乱を許すようなへまをすることは考え難いです。国内金融資産を国債に置き換えるには、色々な手段が有ります。例えば、銀行が保有する債券を日銀が買い入れ、これにより生じた余剰資金を国債で吸い上げる、なんていうこともやると思います。 国債残高が国内金融資産を上回るまで10年くらいかかりますが、これだけではまだ破綻しません。我が国が外貨準備や米国債を保有している間はまだ、打つ手が有ります。先進各国はお互いに急所を噛み合っています。「米国債を一部売却して国債買い入れの原資にする」ことを日本の財務官僚が検討する。この恐怖を世界が共有しています。国債保有者の5%を占める海外投資家の動向が、日本国債暴落の引き金を引くことは、計算上は有り得ますが、実際は起こりません。円の暴落だけでは済まないからです。集団自殺の引き金を引くようなメンタリティの人間は、国際金融市場から排斥されます。国際信用経済は、相互の牽制と恫喝により成り立っています。

 

 優秀な財務官僚による破綻回避の中で政治の無策が続くのは、我が国の不幸です。破綻を回避すればするほど、破綻時の衝撃は大きくなります。まだまだ回避できるという安心感が、政治を弛緩させます。「100兆円規模の予算を組め。金なら唸るほど有るんだ」という亀井金融担当大臣の発言は象徴的です。国債残高が総金融資産を上回る。貿易収支が赤字になる。経常収支が赤字になる。外貨準備高が底をつく。これらが全て満たされたら、国債は暴落するでしょう。3つなら微妙です。2つでは、まだ崩れないと思います。それくらい、我が国の財務官僚は優秀です。困ったものです。

 

 インフレでは、デフレの逆に、物の価値が、通貨に比較して高くなります。つまり、人の労働の価値が次第に高くなる好ましい状況、かというと、必ずしもそうではありません。人の労働の価値が下がり続けながらインフレも進行するということが起こり得ます。インフレの進行以上に円安が進めば、そうなります。悪性インフレか否かは、例えばドルやユーロベースで日本人の労働価値が上がってるか否かで判断すれば明確です。悪性インフレになるか否かは、貿易収支が黒字を保っている段階でインフレに移行できるか否かで決まります。最悪を想定して備えるという立場から言えば、デフレ後に訪れるインフレ局面では、貿易収支は既に赤字化しており、外貨準備は底をついており、インフレと円安が同時に進行し、我が国の一人当たりGDPは低下を続けると想定して備えておくべきです。鳩山イニシアチブによる温暖化対策が国際合意に至れば、我が国の製造業は削減義務が緩い国外に移転し、25%のうち真水削減分10%を達成するために家計負担が年間50万円以上増加し、15%の排出権買い入れにより毎年8兆円が国外に流出しますので、この最悪の想定は、充分に、有り得ます。今回のCOP15では中国のお陰で国際合意に至らず、我が国の寿命が延びました。中国GJでした。


2010/01/11 21:50

デフレの次はインフレが来るだろうというのは、誰もが予想できることですが、どのタイミングでインフレに移行するかが問題だという話までしました。貿易収支が黒字を保っている段階でインフレに移行できるか否かが、分かれ道だと思います。円安とインフレが同時に来るのだけは勘弁して欲しいところですが、最悪を想定して備えるということであれば、貿易収支は赤字、外貨準備は払底、インフレ以上に円安が進行し、我が国の一人当たりGDPはインフレに関わらず低下を続ける、という辺りが、想定すべき最悪状況のターゲットかと思います。

 

こういう状況、我が国の歴史においては終戦直後しか無かったのではなかろうかと思います。昭和恐慌の時はデフレでしたから。戦火により工業生産力が戦前の1/10に落ち込んだ本土へ、満州、半島、樺太、千島、台湾、南洋諸島から一斉に国民が引き上げて需要が急増した終戦直後のインフレは5年間続きましたが、その間のインフレ率は平均で59%だったというのは、前に書いた通りです。我が国のインフレ耐性は変態としか言い様が無いです。北朝鮮のようなデノミによる金融資産切り下げを行ったわけではありません。新円切り替えは有りましたが、預金封鎖、旧紙幣は強制預け入れ、引き出しは月300円まで、という制限のみで、金融資産の「召し上げ」は行われませんでした(詳細はこちら)。けれども、この政策は、金融資産を多く保有している人にはきつかったでしょうね。貨幣の価値が見る見る下がっていく中で、預金の引き出しが制限されていたわけですから。その焦燥感たるやいかばかりだったろうかと思います。

 

終戦直後のインフレは、米国から派遣されたジョセフ・ドッジによる所謂ドッジラインにより終息します。ドッジラインという言葉を初めて聞いたのは、小学生の頃だったと思います。母から聞きました。僕の父は鹿児島県の出身で、中学卒業後は地元金融機関への就職が内定していたのだそうです。そこにドッジラインによる金融引き締めというのが有って、銀行は軒並み人員削減を余儀なくされ、父の内定も取り消されました。仕方なく高校、大学へ進学し、卒業後に大阪の貿易会社に就職、母と出会うことになります。ドッジラインが無ければ、父は鹿児島で地元金融機関を勤め上げた筈で、大阪の職場で母と出会うことは無く、僕は生まれていませんでした。

 

終戦直後は膨大な戦時国債を抱えていた我が国ですが、インフレにより借金が目減りしたところで、ドッジラインによる超緊縮財政で収支を一挙に黒字化させ、あっという間に償還を完了させました。国の借金は民間の資産です。この間、預金封鎖の中でインフレを進行させることにより民間の金融資産が毀損されたことは、国家財政の改善と表裏一体です。GDPの拡大と緩やかなインフレとのカップリングにより財政を健全化させるのに失敗した場合、最悪の結末は、これです。国民の金融資産も国の借金もチャラ。ゼロからのスタート。これが最悪なんですから、恵まれた話です。

 

人の労働の価値が下がると、買うのも売るのも安くなります。田舎と都会での生活を想像すると解り易いです。都会では時給が高い代わりに住居費を筆頭に生活費が高いです。田舎では稼げませんけど生活にお金がかかりません。どちらも同じようにカツカツな生活をしていたとしても、一人当たりGDPは都会生活者のほうが大きいです。GDPの大きさと幸せとはあまり相関がないんじゃないか、と思わされる事例です。それでも大きなGDPを望むのは何故?という問いかけは、それでも都会を目指すのは何故?という問いかけと、恐らく、同値です。

 

デフレ経済下では、個人の労働の価値が目減りします。このような状況から、個人の努力で抜け出すのは、かなり困難です。対して、インフレ経済下では売り手有利ですから、売り手に回る努力をすれば報われます。作ってあげる側、してあげる側に回る。これがインフレ経済を生き抜くための鉄則です。インフレと円安が同時に進行し、我が国の一人当たりGDPは低下を続けるという状況においては、中国からの安価な製品と競争する心配も無くなります。一人当たりGDPが暴落してこそ浮かぶ瀬もあれ、です。売り手に回れば間違い無く報われるのです。しかも、個人の価値創造能力は新円切り替えになっても奪われません。我が国のインフレ耐性が変態的なのは、恐らく、供給力を拡充する上で育成に最も時間がかかる人材が、終戦直後においてすら、充実していたためであったろうと思います。

 

してあげられないまでも、できるだけしてもらわずに済ませる。そのためには能力が必要です。能力を獲得するには時間が必要です。その時間を、これから10年以上続くかもしれないデフレ経済時代が提供してくれます。デフレの後にインフレが来るというのは、不幸中の幸いでした。これが逆だったら、対処の手段は皆無だったろうと思います。能力を獲得する間も無くインフレに苦しんだ後、ようやく獲得した能力が評価されないデフレに突っ込むのです。最悪です。デフレの今は、技術開発や商品開発をしても報われないかもしれません。けれども、その努力は次のインフレ局面で花開きます。今は精進の時です。

(再掲ここまで)


改めて読み直してみるとえらく冗長な文章ですが、10日置きくらいに前の記事を思い出し出し書いたためということでご容赦ください。



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